御田植祭りについて

●御田植

この起源は古く、穂落しという、稲作起源伝説伝承地で生まれたものであり、 現在の姿になったのは、室町時代と伝えられている。




祭りは、古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打、童男の簓摺り、早乙女、杁役、 田道人、謡方、笛方、大鼓、小鼓ら二十七名で執り行われる。奉仕は、旧磯部 九郷の輪番による。
御田植式は、早乙女、田道人による笛取りが行われたのち、大団扇をつけた、 竹を奪い合う勇壮な竹取り行事がある。それがすむと一転して、長閑な田楽に 合わせて、田植えが行われ、さながら室町時代の田楽絵巻を彷彿させてくれる。 この後、装束を整えて、杁役を先頭に、伊雜宮一の鳥居へ向けてにぎやかに踊 り込む。

この行事は、竹取り、刺鳥差舞があるなど、独特な形の田植行事として貴重 であり、国の重要無形民俗文化財として、平成二年三月二十九日指定を受けた。 



●御田植式の式次第

 




●竹取神事
青の峯の金の玉の奪い合い




●御田植の神事

竹取りで荒れた田を杁差がならし、 田道人と早乙女が交互に横一列となり東から 植え始め、 杁差は田植綱を引き早苗を手渡しする。 この間に他の役人は小謡 9 番までをうたい、 中休みとなる。





踊り込みの歌

警護の 「めでためでた」 の歌声で始まる。 平成 19 年までは御田橋から出発し ていた。 15 分進み、 10 分休憩を繰り返し、 約 200m を 2 時間かけて進む。 杁 差が先導し杁を地面に激しく打ちつけ拍手をとり、田道人とともに大声をはり上げ、 威勢よく踊り込み歌を歌う。 後方では笛 ・ 助笛 ・ 太鼓 ・ 簓の囃子も入り、 ゆっく りと格調高く歌いあげ、 簓すりは舞いながら簓をする。



サアーエーイ ーイシャントセ〈歌の間でりかえす〉

○サ目出目出田を植えて アー踊り込ぞえ様へーイエーイ宮様へ 
○サア野河の河で手足を洗うて サアーむぞ様へーイエー様へ
○サア昔真名鶴磯の千田に サアー稲穂落としたその祭りエーイーイの祭り 
ー千田の御稲穂が落ち サア神のみずけありがーイエーイありが
サアー今年しや豊穂にが咲いて ー桝はとりおけ箕でかるエーイエーイ箕ではかる
ー神田の起りは神代の昔 サ鶴の稲穂かイ稲穂ら 
○サー笛に太鼓に大小鼓に サアーえる姿は合の花エイエーイ花 
サア伊雜宮は竜宮様よ サアー八重の潮をサメがるエイエーメが来る 
サアーお勢七度熊野三度 サアー磯部様へは月まいりエーエーイ月まり 
サアー あい子だ上之郷育

ー心 や し く で イエ で